
八劔社について
八劔社は旧鎌倉街道(上野道)沿いに鎮座し、『尾張名所図会』には交通の要所として記されるなど、古くから地域の安全、国家の安寧を見守ってきました。創建年代等は不詳でありますが『八劔社縁起伝聞』によればこの地は古く「大宮司山」とよばれ平安時代後期より明治のはじめまで熱田神宮大宮司家であった千秋家の所領地でした。織田信長と今川義元が桶狭間にて合戦となった「桶狭間の戦い」(1560年)以降千秋家は戦国の世にありながら軍事と縁をきり、ひたすら神事につとめられたといわれます。このとき野並村は大宮司領となりその頃に熱田神宮の御分祀として『日本武尊』を主祭神に他八柱の神様を祀り創建されたのが始まりと伝えられています。ゆえに古くは熱田神宮の別宮とか、外宮・下の宮といわれ篤く崇敬されてまいりました。
現存する当社の所蔵品のなかには数多くの造替の棟札がありその中に千秋家とともに熱田神宮社家の大原家の名も見てとれるものが残されており、いかに熱田神宮との関わりが深かったかを思わせるものです。明治5年7月28日『村社』として列格し、大正元年12月5日境内神社の内、六所神社と熱田社の祭神が合祀されました。

